東日本大震災から11年目を迎えて

震災後しばらくの間、仙台市内の内陸部で被災した私は、特に被害の大きかった沿岸部のニュースを見るたびに、無事だった自分がどんな顔をして街を歩いたらいいのか…と思って過ごしていました。しかし、10ヶ月の赤ちゃんを連れた自分は何の戦力にもならないお荷物だし、オムツやミルク&お湯など、必要なものが不足している状態はとてもストレスでもありました。
また、仙台暮らしを始めて間もなかったこともあり、すぐ近くに知り合いが少なかったこともあるかもしれません。とはいえ、近隣や遠方の知人・友人・親戚に元気をもらったなぁと、思い出すだけで涙が出そうになります。
当時、同じような思いのママさんも少なからずいたのではないでしょうか。

それから、少しずつ笑って過ごしたい、いざという時の備えをイメージしながら暮らしたいと思うようになりました。
震災による電源喪失の経験と原発事故が、私の電気への興味につながっています。

今週末は日々の備えを見直したいと思います。

2022年3月11日 masako

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